トラブルってほどでもないけど
2004年10月28日 現場最終日にして予想以上に押しまくり。うるさいってほどうるさい会場じゃなくて良かったけど、それでも少しせっつかれてしまった。しかし進行役の他のスタッフはある程度予想通りとか言っていて、だったら詰める努力をせんかい! と突っ込みたくなった。
まあなんとか済んだそれはそれでいいとして、しかし18時ごろ会場を撤収したものの、帰りの電車は19:44発。間が空きすぎ。仕方ないので駅で飯にして雑談したりなどして時間を潰してやっと乗車し、3時間超の道のりを読書や睡眠に費やした。
帰宅したら23:30ぐらいで、今日はすぽるとで牛特集をやるということなので、過度に期待しすぎないように少々だけ期待して、取り急ぎ風呂にした。慌しく片付けなども済ませて落ち着いたと同時に特集が始まって、タイトルの一部「さよなら」というあまりにも簡単な一言に、どうしても拭い切れない違和感を覚えつつ、礒部の表情を追う。
「『最後』と『ラスト』は言わんといて」
見届けられなかった本拠地ラストゲーム。試合後のロッカールーム。
「なんで無くなんねん」
いつもの表情で、ちょっとした冗談のような口調で北川が投げつけた言葉は、でも唯一絶対に選手とファンが共有する想いに違いなかった。
途中でインサートされていた礒部のインタビューはおそらくごく最近のものだろう。あの決断からもう1ヶ月を過ぎる。でも礒部はまだ目許を拭う仕種を見せた。そして私自身、あの日から忘れかけていた涙がまだ枯れていないことを思い知った。
「いてまえの精神を選手が受け継いでいってほしい」
それは確実に私の気持ちの中にもある願いだし、嘘ではないし、少なくとも今そうして血を残す以外に方法はないことはわかっている。その言葉に一理は確かにある。だけど、その言葉に救いを見つけようとしながら、何かが違うとずっと思ってきた。
「さよなら、大阪近鉄バファローズ」
そう言い切ってしまうことへの違和感は恐怖にすら思えた。
ファンは忘れない。選手も忘れない。だけど世間はいつかこのことを忘れていってしまう。 ああ、そんなチームもあったねって、その一言で片づけられるようになる日がいつか来る。いや、もうすでにそうなろうとしている気さえする。「チーム」を愛してきたファンにとって、これほど残酷なことはないのだろう。
なくなるのは近鉄ではない。バファローズとブルーウェーブという、個性そのもの。
「語り継がれる」のは、あくまでその「歴史」であり、「受け継がれる」チームは、「選手たち」を通してしか体現され得ない。
だから、チームという「器」を受け継ぐための受け皿がないというこの事実の過酷さは、選手ひとりひとりに託す精神論で補うには限界がある。ずっとどこかで持っていた違和感は、つまりそういうことなのだ。
南海や阪急のファンの人たちは、こういう思いに似た気持ちを経験してきたのだろうか。
そして、ブルーウェーブを愛した人たちは、どうやってこの時間を過ごしているのだろう。
まあなんとか済んだそれはそれでいいとして、しかし18時ごろ会場を撤収したものの、帰りの電車は19:44発。間が空きすぎ。仕方ないので駅で飯にして雑談したりなどして時間を潰してやっと乗車し、3時間超の道のりを読書や睡眠に費やした。
帰宅したら23:30ぐらいで、今日はすぽるとで牛特集をやるということなので、過度に期待しすぎないように少々だけ期待して、取り急ぎ風呂にした。慌しく片付けなども済ませて落ち着いたと同時に特集が始まって、タイトルの一部「さよなら」というあまりにも簡単な一言に、どうしても拭い切れない違和感を覚えつつ、礒部の表情を追う。
「『最後』と『ラスト』は言わんといて」
見届けられなかった本拠地ラストゲーム。試合後のロッカールーム。
「なんで無くなんねん」
いつもの表情で、ちょっとした冗談のような口調で北川が投げつけた言葉は、でも唯一絶対に選手とファンが共有する想いに違いなかった。
途中でインサートされていた礒部のインタビューはおそらくごく最近のものだろう。あの決断からもう1ヶ月を過ぎる。でも礒部はまだ目許を拭う仕種を見せた。そして私自身、あの日から忘れかけていた涙がまだ枯れていないことを思い知った。
「いてまえの精神を選手が受け継いでいってほしい」
それは確実に私の気持ちの中にもある願いだし、嘘ではないし、少なくとも今そうして血を残す以外に方法はないことはわかっている。その言葉に一理は確かにある。だけど、その言葉に救いを見つけようとしながら、何かが違うとずっと思ってきた。
「さよなら、大阪近鉄バファローズ」
そう言い切ってしまうことへの違和感は恐怖にすら思えた。
ファンは忘れない。選手も忘れない。だけど世間はいつかこのことを忘れていってしまう。 ああ、そんなチームもあったねって、その一言で片づけられるようになる日がいつか来る。いや、もうすでにそうなろうとしている気さえする。「チーム」を愛してきたファンにとって、これほど残酷なことはないのだろう。
なくなるのは近鉄ではない。バファローズとブルーウェーブという、個性そのもの。
「語り継がれる」のは、あくまでその「歴史」であり、「受け継がれる」チームは、「選手たち」を通してしか体現され得ない。
だから、チームという「器」を受け継ぐための受け皿がないというこの事実の過酷さは、選手ひとりひとりに託す精神論で補うには限界がある。ずっとどこかで持っていた違和感は、つまりそういうことなのだ。
南海や阪急のファンの人たちは、こういう思いに似た気持ちを経験してきたのだろうか。
そして、ブルーウェーブを愛した人たちは、どうやってこの時間を過ごしているのだろう。
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