「脚を上げた時に、投げるべき球のラインが見える」

 本来の自分の投球ができていた時はそうだった、と黒木知宏は語った。久しぶりに聴く宮崎訛りのその語り口は訥々として穏やかで、記憶にある彼のそれと変わらない。
 けれど彼は、マウンドに帰ってきた昨年、3年ぶりの1勝を挙げたその時の、自らの姿を評して「自分が目指しているものではない」と言った。全く登板できなかった過去2年と比べれば、それでも登板できて曲がりなりにも勝利を挙げただけでも大きな前進である。けれど、「自分の思っているような球は去年、1球も投げられなかった」というのもまた、彼自身にとって厳然たる事実であった。
 故障直前が絶頂期であっただけに、見ている側としても正直そういう印象があったことは認める。でもただその時は、もう黒木のその姿が見られないかもしれないという2年間の恐れからようやく解放されたということへの安堵の気持ちの方が強かった。いや、あるいは「解放されたと思いたかった」のかもしれない。あの時の黒木のピッチングが本来のものでないことはもちろん、彼を見ていた人間ならわかることであろうから。それでも黒木の「魂」を信じているから、その1勝を最初の1歩として、戻ってきた彼を迎えてやりたかったのだ。

 私は川崎憲次郎という投手も好きだった。言わずと知れた、現役最強と謳われた「巨人キラー」。彼の投球から伝わる気迫が好きだった。
 だが川崎は、FA移籍後1勝も挙げることなくユニフォームを脱いだ。
 そうなるだろうという予感は、移籍から3年を経たころにはほぼ8割方、私の気持ちの中ですら否定できなくなっていた。そして開幕戦での投球、その後の登板、そして登録抹消という経過を見ていれば、結末は明らかだった。
 彼は実は、プロ入り以前も以後も常に肘や肩といった利き腕の痛みを抱えたまま、「それが普通」という状況で投げてきたのだそうだ。肩が痛くて投げられなかった時に左で投げてみて、痛みを感じないことに対して「これが、投球の時の正しい感覚なんだろうな」と思ったこともあるという。
 それでも最後の登板で、最後に見せてくれた「投手・川崎憲次郎」のアイデンティティ。ストレートとシュートとその気迫。そして、やり尽くした、後悔はないと言って穏やかに笑ったその表情。
 きっとおそらくはグラウンド外でこそ、どれほど辛い思いをしてきたのか計り知れない4年間を経てもなお、川崎にとってこの16年間は、自分で選択して投げ続けてきた結果でもあったからこそ、悔いのないものとなりえたのだろう。

「でも、たった一度でいいから、元の自分で投げたかった」

 それが叶えられぬ願いと気づいていたから、川崎に後悔はないのだろう。だけど、川崎自身がそう望んだのと同じように、私もそのピッチングが見たかった。

 同じ姿を見るのはつらい。
 だからジョニー、今度こそジョニーのままで帰っておいで。

(黒木の話は今日の「サンデースポーツ」から、川崎の話は「野球小僧」2月号から)

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