DECADE

2005年1月17日
 その日のことはあんまり良く覚えていない。
 繋がらないとわかっていても、とりあえず連絡を取らないと落ち着かなくて、母が電話をかけていたように思う。
 従姉の家が潰れてしまって、宝塚の伯母(つまり従姉の母)の家に一時避難したという話は聞いた。現在神戸に住んでいる伯父は当時尼崎だったそうで、壊滅的な打撃を被ったということはなかったらしい。
 宝塚に住んでいた時にお世話になった、今は三田に住んでいる知人も、姫路に住んでいた時の友人や知り合いも、せめて私の知る範囲の人たちには不幸がなかったのは、個人的にはとても幸せなことだったに違いない。
 だから残ることのできた者は、失われた命の意味を忘れてはいけないのだろう。

 私は姫路で生まれ、宝塚で育った。とはいっても10歳にも満たなかったから、神戸の記憶といえばポートピア’81に「行った」ということぐらい。
 この10年の間、神戸に行くことはあったけど、行くところはいつも同じだったので、震災の爪痕をこの目で確かめたことはない。
 思い起こせば震災から2年後、弟が神戸に行き、身の毛もよだつあの事件の近所で暮らすという偶然(という言い方もおかしいのだが)に遭った。
 一昨年には宝塚でファミリーランドが閉園。災害ではないので同列にするのも妙ではあるが、記憶はやはり鮮明ではないけれど、それでも一抹の寂寥感を覚えたものだ。すぐそばの宝塚劇場に行ったのはなんとなく記憶にあるから。(実は、なんでか知らんがラインダンスだけが妙に記憶に鮮明だ)
 昨年は豊岡にそれこそ津波を被ったような豪雨が襲った。豊岡に嫁いでいる姫路の時の友人とは連絡を取る手段がなく、今年ちゃんと年賀状が届いて本当にほっとした。

 そんなふうに10年が過ぎた。
 住んでいたころの記憶は薄れる。
 だけど「なんとなく」というイメージでしか私の中に残っていない姫路や宝塚に、今なお郷愁を感じることがある。
 はじめて言葉を覚えた土地。
 永住するかもしれなかった土地。
 繋がりは私自身の中に残っている。
 忘れ得ない理由のひとつ。
 その幸運を大事にしよう。

 神戸にも新潟にもスマトラにも、きっと祈りは同じように満ちる。

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